私が本格的に英語の勉強を始めたのは高校卒業後。1年半の英語集中プログラムを受講後アメリカに来た。それから4年半かけて大学を卒業。日本に帰国後10年間親の近くでぬくぬくと暮らし、こっちに移住してから11年。
日本でよく「英語ペラペラでしょ?」と聞かれる。そりゃそうだ。滞在歴15年、アメリカの大学の学位を持ってる上に大学で英語を教えてると聞けば、私だって絶対そう思う。でも、謙遜とか控えめとかそんなのではなく、その質問にはいつも困惑する。果たして私は「ペラペラ」なのか?「ペラペラ」とは何なのか。
「ペラペラ」の意味は流暢。コトバンクによると”言葉がなめらかでよどみないこと。他国語を上手に話すこと” とある。それにあたる英語の”Fluent"は Capable of using a language easily and accurately(言語を簡単、正確に使える能力)なんて掴み所のない定義なんだろう(メリアム・ウェブスターディクショナリーより)。”よどみ”って何?迷いがないって事?私は日本語がペラペラだと思うけど、それでは”他国語” に該当しないし、果たして私は日本語を”なめらかでよどみなく話しているのだろうか。
ESL (English as a Second Language 母国語の後の英語)の学生の話す能力を査定するときには必ず”Comprehensibility"(わかりやすさ)と”Fluency”(流暢さ)の項目がある。前者は私が聞いててどれくらい意味が通じるか、後者は躊躇しない(止まらない)かだ。文法や発音、イントネーション(言葉の抑揚)は別の項目になる。日本出身の学生が 「アイアムウォントスタディーコンピューターサイエンス」とカタカナ英語で躊躇せずに言ったとしよう。例えアクセントが強くても文法が正確でなくても何を言いたいのかわかる。躊躇もしないのでこの学生は定義上「ペラペラ」となる。しかし日本人のいうペラペラではないと気がする。
自論だが日本語でいう「ペラペラ・流暢」の辞書にのってないけど一般的に使われている定義は「Speak like a native speaker」(母国語以外の言葉を母国語のように話す。)ことだと思う。何につけても日本人の”標準、出来る”の基準は非常に高い。そこに謙遜という美徳が加わると何かが出来ると言える人がかなり少ないと思う。私の「英語がペラペラです」というのにためらいがあるのは、きっとそこ。
1967年に言語学者エリック・レネンバーグが ”Critical Period Hypothesis”(臨界期説:ある年までに(レネンバーグ説は14歳)母国語、外国語を学ばないと完全習得が不可能)を発表した。これは今だに論争されていて歳が6歳説から18歳説もあれば、臨界期説は存在しないという人もいる。でもこの説が本当なら、私と私の生徒はいくら頑張っても一生日本人の言う「ペラペラ」になれない事になる。
それを踏まえて10年以上ここで英語を教えてわかった。英会話に関しては何でもいいから、通じる事、意志を伝えられる事を第一目標とするべきだと。どもったってスラスラ単語が出てこなくたって伝わればOKと割り切る。アジアからの学生は恥をかく事を極端に嫌う(私もだけど)。「ペラペラ」にしゃべれないと恥ずかしいから喋らない。喋らないから会話の上達がすご〜く遅い。正確な英文を書けてもしゃべれない。あらゆる言語は会話から始まっている。読み書きはその後に発展した(中には文字を持たない言語もあるし)わけだし、最も大事なのは会話で意思を伝える能力がある事。文法が正しくなくたってアクセントがあったって全然OKなのだ。意思の疎通が滞りなく出来れば ”Fluent” と言うのが海外(少なくともアメリカ)の基準だ。日本語の「ペラペラ」が近い将来、その基準を下げて沢山の人(私も含めて)が「英語はペラペラです!」と自信を持って言えるようになるといいなあと…考える今日この頃。